ここで起きていることは、世界のどこかでも起きている身近なシステムから実践していくということ
KEIKOの地球の歩き方
―― CRR Global Japanのトレーナーたちを1人1人お呼びして、「システムコーチとしてどう生きてるんですか」とひたすら問い続ける企画。今回で8回目になります。
KEIKO: へぇ、すごいね!8回目ですか。
―― 私から軽く自己紹介しますね。もともとこの企画をやりたいって手を上げさせていただいた、モデレーターのゆいぽんです。
2020年最初のロックダウンの時期に社会人になりました。Heart of the Earthという会社のメンバーとして、CRR Global Japanとは組織の外側からマーケティングの支援などで一緒に働かせていただいています。
KEIKO: いつもありがとうございます。
―― こちらこそ、いつもありがとうございます。今回のゲストは村松圭子さん(KEIKO)です!
KEIKO: よろしくお願いします!私も自己紹介しますね。
CRR Global Japanで共同代表兼トレーナーを務めています。
メインの仕事は、ワークショップをリードする役割と、資格を取るコースのスーパーバイザー(監督)をやっています。最近は海外の資格コースのスーパーバイザーもやり始めているところです。
あと自分でTHRIVEっていうコーチングの会社をやっています。
家族のシステムは、中1の娘と小5の息子がいて4人家族なんですが・・・
夫が最近「百姓になりたい」って言い出して。
―― (笑) すごい。
KEIKO: 長野に土地を買って東京と2拠点で生活し始めた、そんなところに我が家はおります。
―― 今日のテーマは「KEIKOの地球の歩き方」です。
KEIKOさんには、世界を股にかけて堂々と闊歩していくシステムコーチとしてのかっこいい姿があって。
同時に、KEIKOさん「小さな自分」って表現されていましたが、「(もじもじポーズで)私、ここにいるよ」っていう姿もあるんですよね。
両面あって、やっぱ魅力だなというか人間だなって思わせてくれたので。
その両方に光を当てていきたいなと思っています。
KEIKO: ありがとうございます。いや、自分の認識はめちゃくちゃこれ(もじもじポーズ)ばっかの人だから。逆にゆいぽんの話聞いて、へー、そういう風(Aのよう)にも見えるんだって。
―― うん。じゃあまず、そのグローバルなところとか、システムコーチングに出会った物語の始まりから聞いていこうかなって思います。
その場の違和感にみんな触れない
KEIKO: そうね。まず海外のバックグラウンドというところで、高校時代海外で、社会人になってからも香港に4年半とロンドンに2年半いました。
その間に「コーアクティブ®・プロフェッショナルコーチ・トレーニング注1」で学んで、個人コーチングをやっていたのですが。
でもやっぱり組織や人との関係性を扱いたいなと思った時に、「ORSC(CRR Globalのシステムコーチング理論)」のことを知りました。
そしてイギリスで(ORSCの)基礎コースに行ってみたんだけど。
全くわかんなくて。
英語だからかなって決めつけていたけど、今思えばちょっとタイミングが違ったんだろうね。いったんORSCのコースはそこで終了して。
今度はスペインで行われたCTIのリーダーシップコースに行ったんですね。
14か国ぐらいの人たちが集まって、日本人は私1人だけだったんだけど。
その時にいろんな葛藤があってね。
リーダーシップを磨いていく旅なのに、自分のプレゼンスの低さとか不安とかとずっと闘っていて。
「私、この場に適したことちゃんと言ってんのかな」
「ちょっと変なこと言っちゃってるかな」とか、
そんなことばかり考えて。
私がどう振舞うかが日本人がどう見られるかにすごく影響するって勝手に思って、何もできてない自分ってなんなんだろうって、すごく自分を痛めつけるっていうか。
これってなんだろうと思った時に、なぜかシステムコーチングの関係性についてもうちょっと深めていくと何か見つかるかもって思ったのがきっかけ。
―― 何が起きていたんですか?
KEIKO: The elephant in the room(部屋の中にいる象)ってよく英語で言うんだけど。つまり部屋の中に象がいたら明らかに誰もが分かるけど、でも誰もが(そのことに)触れてない状態のこと。
今思うと、そのリーダーシップの学びに来てた仲間も何かと違和感を感じてたと思うけど、触れてなくて。
守秘義務があるからそこで起きたことは言えないんだけど、そのチームではいろんな人が学びの途中で抜けていったの。
終わってからいろんなことが明らかになってきて。
関係性の希薄さとか、上辺だけのコミュニケーションとか、そこに関わってたリーダーたちに対しても言えなかったこととかね。
でもその時には、自分にはそういったことが見えていなかった。
こういうのも見える人でいたいなって。そしたらもっと私が貢献できたことあったんじゃないかって思ったんだ。
それがORSCの基礎を受けて、間空いた後、改めてやっぱちゃんと学ぼうと思ったきっかけかな。
もし私が主将という肩書きを取ったら
KEIKO: でも原点の原点でいうと、私は大学時代ラクロスっていう競技をやっていて。今思うと、もうそこから全てが始まってるなと思って。
キャプテンを務めて、自分のチームは75人の女子だったので・・・。
―― 75人の女子・・・。それを聞いただけで、色々あるだろうって。
KEIKO: まあね、大変でした。当時はトップダウンスタイルの体育大が強くて、彼らは技術も体力もあって。軍隊に見える印象。
私がいた慶應大としては、自分たちで考えていくリーダーシップ、それで強い組織が作れるんだっていうのを証明したいみたいなマインドセットで。
だから先輩が絶対とかいう文化も他の大学と比べたらない方で。
―― へえ!運動部って、ピラミッドな組織のイメージがありますが。
KEIKO: もともとラクロス界隈のカルチャーとしては、そういうの(ピラミッドな組織)とは違った新しい形を探っていたというのがあって。
当時トップダウン寄りのチーム、仲良しスタイルのチーム作りの二つを経験していて、どっちも何かが違った。一体感のあるチームってなんだろう。今思うとRight Relationshipを探っていたんだよね。
(KEIKOの部は)それを体現しようとしていたようなところがあったかな。
―― なるほど。それがシステムコーチングとの出会いの原点とどう繋がってくるんですか。
KEIKO: いや、めんどくさいわけですよ。女子75人をまとめるとなると。
―― そうですよね(笑)。聞いただけで、私、鳥肌立ちそう。
KEIKO: 一軍、二軍、三軍がいて、強いチームがいろんなパワーや決定権を持つのがまぁ当たり前・・・って女子は許してくれないんですよね。
一軍が一番いいグラウンド使っていたら、普通に「なんで?」って聞いてきたり。自分が常識と思ってたこととか、すっごい考えさせられて。
―― あー、なるほど。
KEIKO: ディープ・デモクラシー(その場にあるあらゆる声)がうわっと出てきて、めちゃくちゃ難しかったんだよね、チームの運営が。
ダイバーシティがあるなかで、1つの目標に向かっていくっていうのが。
―― そういう中でキャプテンやるって、重圧じゃないですか。
KEIKO: もうね、その時にORSCを知りたかった。
全てが私へ飛んでくる矢のようで、めっちゃ痛かった。
「私がそうさせちゃったんだ」「私の考えが足りないからだ」って。
でも弱音を吐いちゃいけないみたいな。リーダーは孤独だってよくいうけど。
今思うとORSCのシステムで受け取る、システムに智慧があるという考えを知っていればもう少し孤独を感じずに済んだのかもしれない。
今でも忘れない。最後の試合の前に自分が言ったこと。
「もし私が主将という肩書きを取ったら、どれだけみんなと本当の人間関係が作れているのか、不安でしかない。肩書きでしかみんなと関係性作れてない気がする」って。
それぐらい(メンバーとの)距離を感じちゃってて。ある種役割に依存した関係性しか作れてないのではって思ってたんだよね。自分にも自信がなくて。
実際は全然違ったんだけど、当時はそんな恐れさえあった。
でもね、「関係性から作っていく」っていう目指したいところはORSCの世界観とすごい一緒で。ディープ・デモクラシーも大事にするけど、ちゃんと前にも進んでいくっていうとこが。
(ORSCと出会って、)「あー、これこれ!こういう感覚、私も大事にしたいの」っていう。ね、ピタッときた感じなんだ。
―― ピタッと。そのORSCを伝える立場になって、どうですか。
KEIKO: 仲間が増えてく感じ。やっぱ健全な対立、健全な関係性って何なのっていうのを探り続ける会話ができる人が増えていくって、すごいことだなと思う。
低い自己肯定感は自分を信じている証拠
KEIKO: 私、日本人に(対して)すごく願いがあって。悔しい思いたくさんしてんだよね、海外に行って。
―― どういうことがあったんですか?
KEIKO: 1つはあるラクロスのインターナショナルな大会に行った時に、欧米に優位なトーナメント設計になっているように感じた瞬間があったんですね。ラクロスはアメリカのスポーツなので。
そこで日本には運営に対してものを申せる人がいなかったんだよね。英語という壁も影響していたと思う。
それをただただ飲み込んで、翌日急に日本にとって不利な試合日程になっちゃって。これは私の勝手なものの見方だけど、いろんなことを象徴してるなって思ったのが、まず1つ。
もう1個は、やっぱりどこか海外の人、アメリカじゃ白人のアメリカ人が正しいみたいな暗黙のすり込みが私にはあって。
ORSCでファカルティー同士のミーティングに出た時も、「あの人たちが正しくて、私は大したことない」とか思っちゃったりね。
ORSC用語で「ゴースト」っていうんですけど、私が勝手に作ったストーリーで自分を卑下しているみたいな。それは目に見えないけど、関係性に影響を与えているんだよね。
遠慮せず話すってことがすごく大事で、そういう人間でありたいのにできないっていうもどかしさ。
―― 私も思っちゃうところありますね。多様性とか男女の権利の差とか、日本は遅れを取っているから早くなんとかしましょうみたいな。
果たしてそこに従うのが取るべき道なのかどうなのかって、あまり議論されてないまま、それが正しいみたいなプラカードを自分で持っている気がします。
KEIKO: そうだよね。あ、チャットからの質問ありがとうございます。
「対等に渡り合えれば、互いにもっと貢献できたり創造できたりするという自分のポテンシャルを信じる強さはどこから来るんですか?」
―― ポテンシャルを信じる強さ・・・。
KEIKO: 本当だね!!ポテンシャル信じてんだね、私と思って。
―― ちょっと話したくなったんですけど。私とKEIKOは共通点が1つあって。「足りない足りない病」なんですね。
KEIKO: はいはい。自分の足りなかったとこにばかり目がいくっていう。
―― ・・・でもポテンシャルは信じてるんですね?
いや、ふと前回ゲストだったしゅんさんが言ってたことを思い出したんですが。
ものごとは全部ね、表裏一体だぞって。
何かがないっていうのは、「それがあった状態」を知ってるから「ない」って言えるんですって。
だからポテンシャル信じてる自分と、私なんて価値がないって思っちゃう自分って真逆だけど、 でもどっちも知ってるからこそどちらの状態もわかるっていう。
KEIKO: いいこと言うね!たしかにまだまだ伸びるって思ってるから、そしてまだまだ使い得る自分の何かがあるはずって思ってるから、まだ足りないって思っちゃうっていうね。
それによって前に進むことも今までできてきたし、同時にもう真っ暗になる時もあるっていう。人間ですからね。
「私たちの国」に訪れた試練
―― この辺で、旦那さんが百姓になった話聞かせてくださいよ。
KEIKO: ね、旦那いないから話すけど。
まず前提をちょっと言うと、彼はもともと銀行マンで。
転勤で海外に行って、去年日本のスポーツベンチャーの会社に転職して。
そしたら、「会社を辞めて農的暮らしをしたいから、それに向けた学びに時間を使いたい」って言ってきました。
!?おぅおぅおぅ・・・みたいなさ。
普段コーチングしてる私ですよ。いろんな人の「自分らしく生きる」みたいな応援しといて、ここで(旦那を)応援できないとしたら(自分が)フェイクな人だなと思って。
でも、嫁としては「家計どうすんの?」「私に頼んないでよ、自由にのびのびやっていたいのに」とか色々あって。
かなりガタガタして、半年ぐらいは結構ぶつかり合ってましたね。
―― こんな話聞いてもいいのかな。その時って対等感はあったんですか。
KEIKO: 対等感はある、うん。やっぱすごいORSCに救われたのは、自分で「毒ある伝え方してるな」とか自覚的だったし。
あと関係性には役割があって。家庭だとタスク系の外的役割(お金を稼ぐ役割、洗濯物やる役割など)の他に、内的役割っていうのがあって。
どちらかというと今まで結婚生活十何年、私が自由な発想の人で、彼が「じゃあそれにはいくら必要だね」「家はこういう契約にしよう」とかファクトベースを整えて現実にしていく役割だったんだけど。
それが逆になっちゃってさ!農的暮らししたいって、そもそも「なんじゃそりゃ!?」っていう話じゃない。
子供受験すんだけどとか、 家買っちゃったじゃんみたいなさ。
え、何年働かないつもり?!とかね。
私、これやんの?現実係・・みたいな。そんなスイッチも始まったりとか。
彼は自然とかに興味あって、夫婦間でそれに関しての知識の差がどんどんできていて。
でも、家庭って「私たち」の国じゃない。
なのに「俺の国」「KEIKOの国」みたいになってて、離れていっているのをすごい感じて。
閉じていくドアを、ノックし続けた。
「あんたの声はね、I(私)から言っててWE(私たち)じゃないんだよ!」
「WEに入れてよ、私を!」
「自分でシャッター閉じないで!!」って。
「KEIKOはどうせわかんないでしょ、興味ないでしょってあなたが決めないで!まず招待してよ!!」
って、泣きながら言ったりとかね。
半年以上ノックし続けて、やっとちょっとずつWEになってきてる感じ?
でも、まだ今でもそこがガタガタする時はあって。
・・・って、こんな生々しい話で皆さん引いてないかな。
―― いや、聞かせていただいてありがとうございます。
ノックし続けて待つって、相当辛抱強いですよね。
「ああ、もう嫌!」って叫びたくなりそう。
KEIKO: うん、私は何でも人生のネタとしては面白いって思える人なんだけど、でもさすがにかなりきついボディーブローがきた・・・みたいな。
ただ、(旦那が)そういう発想になれるって、ある意味喜ばしいことだねって。
仕事で自分を証明しようっていう人たちが世の中にいる中で、百姓ってもう仕事というより生きることだし暮らすことだからさ。農業じゃないから。相当なチャレンジだねって。
―― チャレンジしたくてもどうせ反対されるから、バレない程度に趣味として留めておいてる関係性、たくさんあると思うんですよね。
それをテーブルの上に置けたってところの始まりが、私はすごいなと思います。
KEIKO: まあね。ちょっとあえて言うと、私は出来ちゃった婚で旦那が転勤になったんで、急に専業主婦になった感じだったんだよね。
そしてキャリアやり直すためにコーチングやりたいって思った時に、最初の投資をしてくれたのはやっぱり彼で。
「KEIKOは世の中に出るべきだ、やりたいことやるべきだ」って、当時唯一応援してくれた人で。
だから、百姓の話が本気だと感じた時、そこはできる限り応援したいけど、ちょっと待ってねみたいな。
時間をかけて、やっとここまで来たっていう感じ。影響し合ってるんだろうなって思います。
―― そういう夫婦の歴史があって、今があるんですね。
KEIKO:あるね。出しちゃった、はい(笑)。
―― 生ネタをありがとうございます。
KEIKO:すいません、こんな話で。
根を張って、そこから世界を見るステージへ
―― (チャットからの質問)夫婦のシステムに起こった内的役割の変化は?
KEIKO: 内的役割の変化なのかわからないけど、ステージが変わった感じがしていて。
ラクロス10年やって、コーチング今10年やって。
そして、次の10年が幕開けしたみたいな感じで。
私はずっと転勤族で3年以上同じ場所に住んだことがない人生を送ってきたんだけど。
今回の長野の土地っていうのは、ある意味初めて1つの場所に根を張って、そこで関係性を作って、ある意味ステイするみたいな。
そんな時代の幕開けで。
ずっと、動けることや柔軟性が自分の強さであったんだけど、そうじゃなくしっかり地に足付けて根を張るっていう。
そこに居続けたらその先にはどんな世界があるんだろうって。
閉じこもるという意味ではなく、そこから世界を見るっていうか。
Think globally act locallyっていう言葉があるけど。
目の前の家庭だったり自分の地域っていうシステムを大事にして関係性を整えつつ、世界を常に見ていたい。
世界からも学ぶし、時にはそこに飛び出るし、でも私には根があるみたいな。
この意識が私をダイナミックにさせてくれるんじゃないかって、わくわくしてます!
―― すごい!あの神話の変化から今ワクワクが出てきたっていう。
KEIKO: これはGJ(CRR Global Japan)も大事にしていることだけど。
教えていることを体現できる組織でいたいと思っていて。
関係性大事ですよねっていうメッセージを出してるから、経営も関係性を大事にしたやり方をしたいっていう。私はすごいそこに響いてて。
だから自分が人に対して願ってることを、家族に対しても願えるようになりたい。すぐに願えるわけじゃないし、そう簡単なことじゃないんだけど。
ここで起きてることって、世界のどこかでも起きていると思ってて。
例えば家族とのいがみ合いとか、扉閉める感覚とかって、世界のどこかでも起きていて。夫婦間じゃないところかもしれないし、それこそ戦争で起きてるかもしれないけど。
きっと、ここで生きるということは、どこかに繋がってるって思っている。
もっと世界に貢献したいし、ちゃんと与えられた命使い切ってるかなって。
うん、やれることやって死にたいなと思います。
注1:「コーアクティブ・コーチングは、株式会社ウエイクアップ CTI ジャパンの登録商標です。 より詳しくお知りになりたい方は、 CTI ジャパンのホームページをご覧ください。
https://www.thecoaches.co.jp
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次回のゲストは山田静香さんです。彼女は“研修・ワークショップのファシリテーター“ 、 ”コーマワーカー“ 、そして “パステル曼荼羅アーティスト“ 、、、などここでは紹介しきれないほどたくさんの顔を持つ ”システムコーチ” です。
彼女の表側を彩る肩書きの多様性とそんな彼女を創り出す内側の世界にも注目していきます。
頭・身体・心はもちろん、ちょっぴり不思議な空気感も感じながら、「静香の世界の愛し方」と題したジャーニーにぜひお立ちあいください。