【社内にコーチという安全地帯を】ゆくゆくは必要とされなくなるように
会社で何か悩みを抱え、でもなんとなく誰にも言えない時。
その悩みを受け止めて一緒に解決に向かおうとしてくれる同僚がいたとしたら。
しかもその同僚は人の関係性を扱うプロで、解決に向かうためのさまざまな智慧(ちえ)を持っている。そんな彼(彼女)にいつでも気軽に相談できる仕組みが整っていたらーー。
社会人3年目の「ゆいぽん」がファカルティ(CRRグローバルジャパンのシステムコーチ)に素朴な疑問をぶつけるというシリーズ企画。4回目は、Sansan株式会社で社内コーチとして活動して10年目になった「あらちゃん」こと三橋 新(みつはしあらた)さんです。
「コーチング」という言葉が社内でまだ知られていない頃から普及活動を始め、実践を重ねる中でコーチングを社内制度にまでしてしまった立役者。そんなあらちゃんに相談してきた社内の人たちは200人近くに上り、その中でたくさんの人や関係性が変容していきました。
社内で進めていくからこその困難や逆風もありながらも、コーチングの力を信じて歩みを止めなかったあらちゃんの底に流れる「コーチング魂」を、ゆいぽんが丁寧に紐解きます。
目次
コーチングが社内で誰でも受けられる
―― 自己紹介をお願いします。
あらちゃん:Sansan株式会社という会社に所属をしながら、社内の人たち向けの個人コーチングとシステムコーチングを人事の役割として行なっています。また去年からCRR Global Japanにジョインして、スーパーバイザーという役割で関わらせていただいてます。
僕自身は2013年から約1年半、個人コーチングを学んだのですが、その頃から、学んだものを実際に使っていきたいという気持ちが強くて。使ってみて何が起こるのか楽しみ=「実験」のような気持ちで、学びながら同時進行で社内で実践していきました。
それと並行してコーチングを会社に認めてもらうための活動も続けてきました。今では社内の誰でも手を挙げればコーチングを受けられる状態になり、社内制度として活用されています。
僕以外に社内の個人(を対象にした)コーチは4人いて、システムコーチング(複数人の関係性を扱うコーチング)は今は僕しかやっていないんですが、両方いつでも受けられる形になっています。今日の午後もちょうどしていました。
―― まさにさっきまでコーチングしてましたというあらちゃんですが、コーチングにおいてここまでコミットしてる人って、私は正直聞いたことがないなと思っていまして。朝・昼・晩と1日3回セッションとかを毎日続けてたっていう。だって、ご飯と一緒じゃないですか。
あらちゃん:一緒だよね(笑)
ーー 実践を積むことが大事とかよく言いますが、頭でそう理解しているだけではそこまでできないと思うんです。なので今日は「あらちゃんのコーチング魂を紐解く」というテーマで、その奥に何があるのかを探っていきたいと思っています。
これまでどのようにしてコーチングを会社組織に認めてもらい制度化していったかという道のりについては、けっこう他のインタビューなどで紹介されていますよね。
そういったことも、相当なエネルギーや覚悟がなければできないことですが、そういうことをしてきた奥に、背景として何が流れているのか。あらちゃんは何が原動力となってこれを今もやり続けているのかというところにスポットライトを当てていきたいと思います。
塩と胡椒でコーチング
―― さっき「実験」のような感じって言っていましたが、その気持ちってどこからやってくるんですか。
あらちゃん:実験したい気持ちね・・・なんか新しいおもちゃを手に入れたような感じかな 。コーチングではいろんな関わり方とか、ツールを学ぶわけです。その型の素晴らしさは、個人もシステムもあるなと思っていて。
あまり自分自身が熟達していない状態でも、型をその通りにやるとそれなりのインパクトが相手に起きるっていう。それが、やっぱ楽しかったんだろうな。
ーーへえ。
あらちゃん:だから新しいものを学んだらすぐやりたいと思ったし、なんでもやってみたいって思っていたかな。
最初にコーチングやってた時は、今みたいなリモートワークの時期じゃなかったので。喫茶店とか定食屋でご飯とかお茶とかしながらコーチングする機会がすごく多くて。
喫茶店ではミルクとガムシロップを使ってシステムコーチングしたりとか。定食屋さんでいうと、塩と胡椒を使って、 関係性を見える化するみたいなことをやってたりして。
そこにあるものを使って相手に貢献していくっていうことが楽しかったかなと思いますね。その場から作っていくっていう。
―― 面白いですね。コーチングって敷居が高いイメージがありますが、あらちゃんには気軽にやってくださいって言いに行けそう。
あらちゃん:今言ってくれたところがまさに社内にコーチがいる一番のメリットだなと思っていて。
社外のコーチだと、契約したり1回1回お金がかかったりするような仕組みだと思うのだけれど、社内だと基本的に僕は従業員としてそこにいる中でコーチングができるので、受け手としてはやっぱり敷居が低くなるんだろうなと思うね。
こう話しながら、そうありたかったんだなって僕自身が思っていて。
「エグゼクティブ・コーチ」っていう言葉があるように、コーチングって社長とか役員部長みたいな人たちが受けてる印象がまだまだあるなと思うけど、多くの人たちが受けられないってすごくもったいないなっていう気持ちがあって。やっぱりそういう意味では、(誰でもいつでも受けられる)「社内コーチ」というものに思い入れがあるなと思いますね。
僕の一部を切り取って紡ぐ
―― 今の会社にいる中でコーチングというものに出会ったんですか?
あらちゃん:そうだね。社内には第一線で活躍するプロフェッショナルな人たちもいる一方で、頑張っているけど苦しんでる仲間たちもいて。自分も何かのスペシャリストになりたいと模索をしていた時期でもあったから、アンテナは張っていて、その中でコーチングに出会い、社内コーチとして深く貢献したいっていう気持ちからスタートしたっていう感じがありますかね。
―― 深くってどんな感じですか。
あらちゃん:言葉で言うと「紡ぐ」。なんか、セーターのほつれた穴を僕という糸を使って補修してる感じのイメージなんですよね。相手の人生の一部になってるっていう。
―― 僕という糸・・・
あらちゃん:僕の一部っていうイメージだね。パッチワークみたいな感じでもあるかもね。ほつれてるところを見つけたら、自分の一部を切り取って、そこに紡がれて補修されていくみたいな、そんなイメージ。
―― 面白い。あらちゃん自身はその糸の補充はどうしてるんですか。
あらちゃん:自分の補充ね、どうしてるんだろうなあ。でも問われると、それは自分の人生を生きるっていうことかな。
―― もうちょっと教えてもらってもいいですか。
あらちゃん:なんか、目が輝いてる人が世の中に増えたらいいな、その輝きを取り戻せる役割になりたいなと思っていて。その目の輝きって何かっていうと、たぶん自分で選択して生きていることなんじゃないかなって。
いろんな苦労があっても、それは自分で選択したって思えるのと、誰かから言われた道だからしょうがなくやってるのとでは全然違っていて。多くの時間を選択的な自分でありたいし、自分の人生を生きることで、自分で満たしていくものなのかなと。
もうコーチングしかなかった
―― なるほど。でも社内コーチは会社組織の文脈で仕事になってることを考えると、なかなか自分の思うような選択ができなかったりしませんか。
あらちゃん:そうだね。全然一筋縄じゃないし、そう簡単に選択もできないしね。
やっぱ選択するってすごく・・・孤独だし辛いことでもあるなと思っていて。
たとえばコーチングを社内で始めた当初、100人ぐらいいる社内で僕1人しかコーチングを学んでなくて。初めは「なんか宗教みたい」とか言われたりしたし。コーチングっていう言葉の解釈が人によってさまざまある中でやっていくので、すごく孤独な感じがあった。なんかもう戦ってる感じがしたよね。
なので選択とか意思決定ってそんな簡単なものじゃないなとも思うので、人に無理強いはしたくない。
―― 私だったらたぶん途中で諦めそうな気がするんですよ。でもあらちゃんは9年も続けてる。何がそうさせるんですか。
あらちゃん:正の部分と負の部分があるなと思っていて。
正の部分で言うと、やっぱりコーチングって素晴らしいものだと思っている。ちゃんとやると、ちゃんと成果が出るというか。相手が変容していったり、成長していったりするんだよね。個人もチームも半年以上かかるなっていう感覚はあるんだけど、それぐらい関わるとみるみる変わっていくなって。その喜びは大きくあると思いますよね。
負の部分はね、たぶん僕にはもうコーチングしかなかったんだよね。前職では経営企画、今の会社では人事・総務・法務とかいろんな役割を最低限回してきて。コーチングにたどり着くまでは、正直中途半端な気持ちというか、最低限を器用にやっていく感じで「自分は別に何者でもないな」っていう絶望があってさ。
僕の中では、コーチングはある意味リンゴの芯のようなイメージで。なんかもう身が全部なくなって、あともうこれしかないっていう最後の芯がコーチングだったっていう側面もあるので。そういうエネルギーもあったんだろうなって、今振り返ると思います。
―― コーチングは自分の芯だと思ったのはいつなんですか。
あらちゃん:33歳だね、9年前。コーチングを学び始めたとき、俺が求めていた世界観がそこにあって。今までやってきたことがこんなに体系化されてるんだって、すごく感動した記憶がある。直感的に「あ、一生やってくな」って。なんかじいちゃんになってもやってるイメージがついたんだよね。
そこから、もう全くぶれてない。仮になんか喫茶店のオーナーやったとしても、コーチングしてるだろうし。どんな仕事や役割をやっていても、たぶんコーチング的な関わりをするんだろうなっていうのは間違いないと思う。
真因は隠れている
―― なんか・・・何を聞いても、あらちゃんからスラスラ色々出てくるなって。 それだけ自己探求をしてるってことなのかな。
あらちゃん:そうだね、問いを持つ傾向が強いんだと思う。
外側のことに対しても、自分の内側のことに対しても。今はシステムコーチとかやってるからさ、関係性の構造みたいなものにすごく興味がある。構造を紐解いていきたいというか。
例えば社内で誰かと誰かが喧嘩しているみたいな話で間に入ったりするんだけど。 でも何に起因してその関係性が悪い状態になっているのかって、ほとんど誰もわかっていなくて。なんでその言葉が出てくるのかとか、何がそうさせてるのかっていうもっと奥の源流というか、行動にすごく興味があるんだろうな。 で、やっぱ解決したいんだと思う。そういう・・・望まない現実を。
―― 望まない現実。
あらちゃん:喧嘩したくて喧嘩してる人はあんまいないと思うからさ、なんかそれがもったいないなって思うんだな、きっと。
やっぱ誰かに貢献して喜ばれると嬉しいし、 またコーチングしてほしいと言われると嬉しいからもちろんやるんだけど。でも、それが続くと依存的な感じになって、僕がいないと機能しないみたいな感じになっちゃうのは、目指してる世界じゃない。抜けていくことも考えながらやる必要があるなと思うし。
よく好きでやってるなと思うよね、いなくなるのが理想なのにさ。貢献したい気持ちはあるんですね。それは続くと嬉しいんだけど、求めてないっていう。このなんか矛盾した感じがすごくマニアだなと。
自ら意図的に良くしていけるように
―― そんなマニアは何を願ってるんですか。
あらちゃん:システムコーチングって知見がすごくたくさんあって。僕自身も救われたので。そういうことを多くの人が知ってさ、よくわかんないんだけど関係性が悪いんだよねとか、うまくいってないよねっていうものを、もっと自分たちで意図的に良くしていけるようになるといいなと思うね。
―― 自分たちで意図的に?
あらちゃん:なぜそうなっているのか、何がそうさせてるのかっていう構造とかが分かって、自分が少し何かを変えることでこの関係性が良くなるかもしれないっていう知見があるだけでも、意義があるというか。
―― うん、うん。
あらちゃん:でも多くの人はもうどうしようもないなって思って諦めちゃったりとかね。何もできずに離れていくっていうこともあると思っていて。別に(離れていくことが)悪いことだけではないと思うんだけど。
やっぱり健全な関係性であると、みんな幸せだなと思うから。
正しい関係性というものを、みんなが知見を持って意図的に作り出していけるといいなと思うね。
―― 私もシステムコーチングを学んでる途中で、そういう知見を生かしたいっていう気持ちもすごくあるけど、なんか空回るというか・・・。掘れば掘るほど、いろんないろんな声も出てくるし。
あらちゃん:声も出てくるよね。自分自身もね。
―― そう、なんかこうモヤモヤは募るしみたいな。その知見を知ってるからってみんな意識的にいけるのか、ちょっと正直懐疑的なところありますね。
あらちゃん:でもそのモヤモヤして出ない声ってたくさんあるじゃない。それが「適切に扱われる社会」ってなんかいいなと思って。個人でもチームでも。
やっぱね、聞かれずに進んでいくと悲しいもん。人間って解釈したり決めつけたりする生き物でもあると思うから。ほんとはそういう何かしらの声があるのに、決めつけられて進んでいったりとか。ほんとは間違ってると思うのに言えずに進んでいっちゃったりするのは、なんか悲しいよ。
そういう声なき声が出てくる状態であってほしいなっていう願いはすごくある。
一番苦しい時の安全地帯
―― それって、コーチは人間の残酷な一面も見るような・・・そこまで触れに行くんだなって。
あらちゃん:うん、そうなんだよね。
―― それでもなんでコーチを続けてるんですか。
あらちゃん:そうね、でもやっぱそれを越えたところに大きな変容があって、それって素晴らしいなと思うから。
苦しさのない成長ってないなと思うので。その苦しさとちゃんと対峙できる人が、その壁を越えられる気がしていて。それを超えたいならばね。
そのためには見たくないところも見る必要があるなと思っていて。その苦しさとも一緒に協働していきたいっていうのがある。
―― あらちゃん、これをおじいちゃんまでやってるイメージが見えてるって。そういう苦しさもあったりするものを、なぜ・・・。
あらちゃん:一番苦しい時に安全地帯があるといいなと思ってる。
―― へえ。
あらちゃん:なかなか世の中に安全な場ってないなと思っていて。それこそ会社の中でいうと、上司・部下・同僚なんかも、 もちろん気の許せる部分はあるけど、許せない部分もきっとあって。家族であってもそうだろうし。なんかコーチぐらいの距離感が一番安全になりうるんだよね、きっと。
大きな苦しみとか課題を超える時とかには、安全な場所が必要だなと思っていて。 それはコーチの大きな役割だと思ってるかな。
だから常にコーチとして透明でありたい。なるべくこうバイアスとか解釈とかがないようにね。今の状態を鏡のように自覚できることにすごくインパクトがあるので。
だから、結果的には僕の言葉を出す時点でいろんな解釈が入ってたりするんだけど、そういうものをなるべくなくせるようにやりたいなっていう意味で、透明になりたいな。
自然と気づいて帰っていく存在
―― あらちゃん自身の安全な場所ってどこなんですか。
あらちゃん:すごい問いだね。ぱっと浮かぶのは、やっぱ自然かな。森の中にいる時とか、川を見てる時とか、その時が一番安心感を感じている気がするな。なんか包まれてる感じというか。
ちゃんと感覚を使えてる状態が結構好きで。
肌に当たる風とか、揺れる木々とか、夕日なのか、空なのか、あとは川に浸かってる足みたいな、 なんかこう感覚が生かされてる時がすごく安心するかもね。人間らしくあれるというか。
―― 安心・安全って人との関係性に使う言葉だと思ってたんですけど、自然が出てきて結構びっくりしました。
あらちゃん:究極的には、やっぱ自然が受け入れてくれるなと思う。評価・判断しないしね、自然は。そのままでいていい。
ーーたしかに(笑)。あ、だから包まれてるっていう風に言ったんですか。
あらちゃん:そうかもしれないね。そういうコーチでありたいなって。自分のあり方の理想に自然があるのかもしれないね。
―― それってどんなあり方なんですか。
あらちゃん:共にいると、自然と何か必要なことに気づいて帰っていくみたいな。僕が介入せずとも。
山に登ったり、包まれたりすると、自然と内省して日常の気づきが生まれるときがあって。
そんな感じのコーチでありたいなと。
行くとなんか落ち着く感じがあって。安心して。 で、普段言えないようなことが言えたりして。それによって気づいて帰るみたいな。でも森は何もしてません、みたいなものが究極的なーー。
―― コーチングってわりと近年にできた技術・コミュニケーションの1つの手法のような感じがしますけど、それは名前が付けられてなかっただけで、最古からこの世に存在してたんじゃないかって思いましたね。
あらちゃん:そうだね、そう思う。
―― 組織の中の自己治癒力というか、自ら治癒する力を高めていくような存在が組織内のコーチなんだなって。
あらちゃん:そうだね、そうありたいと思う。
「必要とされたいけど、必要とされないことを目指す」じゃないけど。
この矛盾の中で生き抜くのが楽しいです。
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次回のゲストは、心のアンテナを軸にいくつもの障壁を乗り越え、可能性の扉を開いていった「いずみん」こと島崎湖(いずみ)さんです。「彼女がコーチを職業としている原点」から、そして現在のワールドワーク(システムコーチとして探求していくこと)の一つでもある「自然」のお話まで、いずみんの魅力や本質に迫ります。
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