「生」と「死」について考える自分自身の内なるディープ・デモクラシー(深層民主主義)を許可する~
ORSC labo第7回目は、コロナ禍において、環境適合をせざるを得ない、そして、しているかのように見える私たちの心の奥底にはどのような気持ち(内なる声)があるのか、そんな問いを持ちながら、「生」と「死」についてシステムコーチングの視点から語ってみようと思います。
昨今、死にまつわるニュースを目にすることが多くなりました。コロナによって、それがフォーカスされているため機会が増えているとも言えますが、私にとって特に衝撃的だったことは自殺についてのニュースでした。「2020年8月の自殺者が去年の同じ時期より240人以上増えたことが分かりました。国は新型コロナウイルスの感染拡大の影響がないか、分析を進める方針です」(2020年9月10日 NHKニュースより)
人が生きていく上では、当人しかわからない複雑な心情があるのだと深く受け止めています。そして以前にも増してこういったニュースは、知らず知らずのうちに、より深くずしんと皆さんの心に響き渡っているのではないでしょうか。少なくとも私には影響を与えています。
死を考えると、同時にどのように生きるのか、生きたいのかといったことにも意識を向けたりもします。なかなか表には出てこないかもしれないけれど、私たちそれぞれが抱える様々な心の奥底にある内なる声は、どのようなものがあるのだろうかと日々感じ、考えています。
そして人の集合体である社会の中には、どのような声があるのだろうかとも考えます。
目次
ディープ・デモクラシー(深層民主主義)※:
場にあるあらゆる声に耳を澄ませる
システムコーチは、たとえそれが、システム(関係性)にとって恐れを感じるような意見であったり、共感を得られないような声だとしても、逃さずに聴き取るという姿勢を大切にしています。システム(関係性)の真実の姿が正確に表されるためには、すべての声が聞き届けられる必要があると考えます。あらゆる視点には、必ず何かの真実があります。そしてまた限界もあります。
私は尊厳死・安楽死・自然死・平穏死など死にまつわることを調べ考え、安楽死にまつわるダイアログなどにも参加しました。その場では様々な声が出てきました。自分自身の中でも話をしながら、心の奥底にある叫び、嘆き、願い…揺れる気持ちが出てきます。
「自分で自分の人生を決断して良いと思う。でも、「生きたい、死にたい」を繰り返しながら、「死にたい」の声だけを取り上げて話を聴くのではなく、「生きたい」の声にはどのような願いがあるのかを十分に寄り添って聴いてから、その意思を尊重して欲しい」という声が出てきました。人の「尊厳」というものをひたすら考え続けた時間でした。それでも、様々な声を聴くと、また揺れる自分もいます。その繰り返しです。
人が生きていく上では、様々なしがらみがあると思います。ただ、自分自身の内なるディープ・デモクラシーを許可して、自分自身と「Right Relationship™(正しい関係)」を築くことは、自分自身(内なるシステム)を大切にすることに繋がっていきます。
「群盲、象をなでる」のたとえ話をご存知でしょうか。三人の盲人が象を表現するという課題を与えられました。一人は、象の足に触れながら、「象は大きな木のようだ」と言いました。もう一人は象の耳に触れながら「象は帆のようだ」と言いました。三人目の人は、鼻を触りながら、「象は蛇のようだ」と言いました。
コロナ禍で「命」というものに向き合う機会が、今まで以上に増していると思っています。私は、過去に極限まで追い込まれたことが一度ありましたが、その後は自分との向き合い方を知り、日々を過ごしています。それ以降、死にたいというような状況にはなっておらず、人に寄り添う努力をしたとしても、実際、身体が不自由になっているわけでもなく、病気に苦しんでいるわけでもないために、「私の何がわかるのよ!」と叫ばれたら、確かに「私とあなたは違う」となるでしょう。
ORSCルール:
誰もが正しい ただし、全体からすると 一部だけ正しい
それぞれの人の声は、すべて真実の一部を伝えています。けれども、同時に大事な特徴を逃しているとも言えます。
物事の物理的な事実以外には、客観的な真実はほんの僅かで、多くは個人的な経験と信念にすぎません。こうした個人的な経験は「私の」真実であり、「私の」経験としては確かなものですが、唯一の真実ではありません。すべての人の経験はそれぞれの真実、それぞれの内なる自分自身から見ると、同様に事実ではあります。しかし、唯一無二の真実ではないのです。
システムコーチは、システム(関係性)にある様々な声に意識を向けます。ただ、システムコーチとしては、様々なシステム(関係性)にかかわる前に、まず最初に自分自身の内なるディープ・デモクラシーを許可して、自分自身と「Right Relationship™(正しい関係)」を築く必要があると考えます。自分自身(内なるシステム)には、どのような自分(声)がいるのだろうか、と。
例えば、「死」というものを前にして、皆さんはどのようなことを思うでしょうか。「死」という言葉を出してはいけない、そんなこと考えても、言ってもいけない。人はいずれ死ぬのだから、死は普通にそこにある身近なものである。人の命をそう軽々しく扱うなんてもってのほか。自分で死を選んだのならそれでいいのではないか。死を選ぶ前に、何かサポートできることはあったのではないだろうか等。いろいろな声が出てくるのではないでしょうか。
Right Relationship™(正しい関係):
自覚的で意図的な関係性を創り上げ、それを維持する力
今、自分自身(内なるシステム)に何が起きているのかに気づくことができ、意図的にその状況にどう対応するかを選択することができることで、自分自身(内なるシステム)は持てる可能性を存分に発揮し、本来の姿へと継続的に進化、発展することができると考えます。
自分自身(内なるシステム)には、例えば、なじみのある自分(声)、深く隠れていてなかなか姿を現さない自分(声)、他の人にはわかっていても自分自身が認めていない自分(声)等がいたりします。深いところに潜んだ側面にある自分(声)は、時々現れてはシステム(関係性)に影響を与えます。
普段は頑張り屋さんの自分がいたとしても、時に疲れたなと弱音を吐くような自分もいる。 自分自身が思っている以上に自分の声を押し殺していたり、また本当はNO!と断りたいのに断れない自分がいる。こうしたいのにという願いがあるのに、自分で作り出したしがらみの中に居て、その願いがある自分に蓋をして行動している、といったような様々な「自分」と出逢い、自分自身の中にそういった「自分」もいるんだ、いてもいいんだと 自分(声)の居場所をつくってあげられる(その声を表現してみる)と、もう少し生きやすくなりそうだと思いませんか。
また、周りにいる人たちも同じように様々な「自分」がいるのだと思えば、周りの人に対してももう少し寛容になれそうだと思いませんか。自分の人生なのに、誰か別の人の人生を生きているような状況ではなく、自分自身が意識的に生きることができると、生きづらさよりも、少しは生きやすく、楽しめるのではないかと思いませんか。
同時に、自分だけで自分自身(内なるシステム)に向き合うことは、そう簡単ではないと思います。
私たちは、システム(関係性)の中で生きています。
関係性システムの輪に照らし合わせてみると、自分→パートナー・家族→チーム・組織→地域コミュニティ→日本・国家→世界→自然・地球と繋がっていきます。もしかしたら、自分の次に身近なシステムであるパートナー(相手)との関係性に目を向けてみることで、自分自身(内なるシステム)について、何か新たな発見をするかもしれません。
人は、関係性の中に生きています。
時に、人に向き合うこと自体、しんどい時があるかもしれません。でも、「しんどい」と伝えられるなど、自分自身(内なるシステム)を表に出すことが出来る自分がいれば、きっとシステム(関係性)も変わっていきます。
それを一人で実践するのは難しい時があるかもしれません。だからこそ、私たちシステムコーチは、自分自身(内なるシステム)にある様々な自分(声)を表現して生きたいと願う、そういったシステム(関係性)にこれからも関わっていきたいと切に願っていますし、自分自身(内なるシステム)にも目を向け、その声にも許可をし、表現できる人が増えるようサポ―トしたいと思っています。
自分の中の何を手放す必要があるのでしょうか。どの部分は「死ぬ」必要があり、どの部分が「生きる」必要があるのでしょうか。ぜひ考えてみてください。
※「ディープ・デモクラシー(深層民主主義)」はアーノルド・ミンデル博士が提唱された概念です。