しあわせのパンMy Favorites /Book&Movie

My Favorites Vol.6は、ファカルティの山田静香から、「しあわせのパン」をご紹介します。

私がこの作品に出会ったのは、映画を観ながらダイアログをするという仲間が開催するワークショップでした。この作品の魅力と作品の中で出てくる“パン”のわかちあいをワークショップの中でも行いました。今日は関係性の神話の起源、神話の変化に目を向けながら、本/映画“しあわせのパン”をご紹介したいと思います。

しあわせのパン

本/映画

『しあわせのパン』三島有紀子著、ポプラ社、2011年/「しあわせのパン」監督: 三島有紀子、出演:原田知世・大泉洋、2012年公開

北海道の湖のほとりにあるパンカフェから届いた、とある一年の物語。

 東京から北海道の月浦に移り住み、湖が見渡せる丘の上でパンカフェ「マーニ」を始めた夫婦(りえさんと水縞くん)。実らぬ恋に未練する女性、出ていった母への思慕から父を避ける少女、生きる希望を失った老夫婦が次々とカフェに訪れる。彼らを優しく迎えるのは、二人が心を込めて作る温かなパンと手料理、そして一杯の珈琲だった。

My Favoritesポイント

北海道のはっとするほど美しい四季折々の風景とそこに集うお客さま(夫婦・親子・カップル等)の関係性の変化が季節ごとに描かれています。物語の大きな鍵を握っているのは、時に登場する「月とマーニ」という絵本です。パンカフェ「マーニ」に集うお客さまと夫婦が、パンを“わけあうたびにわかりあえる”ほんの少しの神話の変化、その心持ちがまた誰かに循環していくという自然と人間が一体になるような作品です。

映画を観て心を奪われて、どうしても手にしたいと思った「非売品」の絵本を求めて、原作本を探しました。それは、「月とマーニ」という本の後半部に挿入されている絵本です。 それは、以下のようなお話です。


『月とマーニ』みしまゆきこ・作/ふじしまたえ・絵

自転車のかごに「月」を乗せた少年マーニと「月」との会話が描かれています。

そこに、自転車のかごに「太陽」を乗せたソルがやってくると、マーニは休みます。

ある日、「月」は「太陽」がまぶしいから「太陽」をとって欲しいとマーニに相談します。しかし、マーニは、「太陽」をとったら自分(マーニ)が困ると「月」に言います。

「太陽」をとったら、君=「月」がいなくなる。夜に道を歩く人が迷っちゃうじゃないか。

「大切なのは、君が照らされていて、君が照らしているということなんだ」と。

それからずっと、今でも「月」とマーニは、一緒に自転車に乗って夜空を渡っています。


パンカフェ「マーニ」を始めたりえさんの初恋の相手は、「マーニ」でした。小さい頃から何度も何度も図書館でこの絵本を読み返し、ずっとマーニを探していました。そうしているうちに、大人になり、どんどん周りには「好きじゃないもの」が増えていきます。

唯一人の家族、お父様が亡くなり、大人になって働いて、いつの間にか更に大変で、心が一人で小さくなって、マーニはどこにもいないのだと、心に決めていました。その時に、東京で水縞くんがりえさんを2回見かけ、モノレールのホームで見かけた3回目に「月とマーニ」の絵本を持っていたりえさんに「月浦で暮らそう」と誘ったところからスタートしています。

水縞くんは、りえさんの「東京のオフィス街での少し異質な光景をまとい、半ば死んでいる人のような正気のない顔」に惹きつけられ、思わず言葉が出たと言っています。水縞くんからしたら色んな意味でりえさんを守りたかったし、りえさんからしたら結婚に逃げ込んだという始まりでしたが、「籍」をいれずに表向き夫婦という形をとり、一度だけ水縞くんが訪れたことがある月浦に移住してきました。

そのりえさんと水縞くんが営むパンカフェ「マーニ」には、数々のお客さまが訪れます。

<夏>実らぬ恋に未練する女性

<秋>出ていった母への思慕から父を避ける少女

<冬>生きる希望を失った老夫婦

お客さまのそれぞれの物語が、パンカフェ「マーニ」では展開していきます。出会い、そして関係性の変化、別れ、また新たなる関係性へと、季節の変化のように色鮮やかにそして、時に厳しく辛い悲しみも。

この作品で関係性の神話の変化が訪れる時は、必ず「パン」が登場します。テーブルに人が集い、大きなパンを手でちぎって、隣の人に渡す。渡された人はただ「ありがとう」と言ってそのパンを口にする。

何気ない日常はけっして何気なくはない。ということ。いま、こうして自分の意志で何かを出来ていること、隣に誰かがいること、生きていること、それは奇跡的なことだということ。

 “人は何かをshareして生きている”

人が人と生きていくということは、誰かと何かを分け合って共有して生きるということ。

 大切な“ひとつだけ”をどうしても手に入れられない人たちが、誰かと何かをshare することで、別に幸せになんかならない、ほんの少し変化し、その心持がまた誰かに循環していくという。その想いをこの作品は教えてくれています。

<春>パンカフェ「マーニ」のりえさんと水縞くんにも関係性の神話の変化が訪れます。

りえさんがとうとう<マーニ>を見つけます。それはもちろん、水縞くんでした。

とても大切なことは、自分自身になんらかの能力があること。

そして、相手にもなんらかの能力があること。

そして、二人が共にいることで、それが誰かの役に立ったり誰かを喜ばせたりできるということ。

けっして<マーニ>だけを求めているのではなく、自分も<月>になれないと<マーニ>は出てこないということ。

それは自己を肯定できないと絶対に手に入らないということ。

りえさん、そして、水縞くんも、月浦に集うお客さまもみんな、“何かをshareして生きている”。

生きていることを実感することで、次なる神話のページへと進んでいきました。焼き色ついた素朴なパン。薫り立つ珈琲。コロコロ野菜のあったかスープ。手作りの器やカップや文房具の小物たち。自然のいろんな音や楽器が奏でる旋律。それぞれの生き方が見える衣装。当たり前のような当たり前ではない、日常のいちページを丁寧に、シンプルに紡ぎだしているこの作品に出会えたこと。

そしてこうやって、皆さんにこの作品をshare出来ていることをとても嬉しく思っています。ふとした時、それは神話の変化が訪れるタイミングかもしれません。そんな時に、ぜひ手にとっていただきたいひとつの物語をご紹介しました。

コメントを投稿する

内容をご確認の上、送信ボタンを押してください