「関係性について話すのは別れ際だけ」な私たち。元教員のシステムコーチが願うこと
人生の基礎を築く第二の場所 — 学校。
その現場に大きな理想をもって向き合い、それが打ち砕かれた先にシステムコーチングに出会えたコーチがいます。
コロナになってから社会人になった齋藤悠衣(ゆいぽん)が、CRR Global Japanのファカルティであるシステムコーチたちに素朴な疑問をぶつけていくという企画の3回目ゲストは、そんな元教員の「ふゆふゆ」こと佐藤扶由夫さん。
システムを通して見た「男女の別れ方」から「体質改善」まで–。
ふゆふゆだからこそ見えてきたディープな世界へ、ほんのちょっとご案内します!
目次
教員を経てシステムコーチングの世界へ
―― 自己紹介をお願いします。
ふゆふゆ:大学を卒業してから、私立中学・高校の教員を長くやっていました。その中でコーチングに出会い、まずは学校の中で始めました。自分の同僚にコーチングするというポジションをもらって、7年くらいやっていたんですね。
かっこよく言えば、いわゆる「組織内コーチ」の走り。自分の同僚、つまり先生もいれば、事務職員の方もいれば、購買の店長さんもいて、そういう人たちに定期的に個人コーチングをやっていました。
そんな中で、今度はシステムのコーチングをするということに出会い、
ある時「このまま学校にいると、自分は腐るな」と感じた。
いい形でコーチングをさせていただいていたし、職場に不満もなかったし、ありがたい環境だった。生徒との関係も、最後のときはすごく良かったなと思うし。
でも、このままいったら、「ルーティンで回していく」みたいな、そういうふうになるという直感があって。
いろいろタイミングが重なって、40過ぎてから転職しました。
言うに言われぬ理由で別れゆく男と女
―― 40過ぎて学校の先生からシステムコーチに転職して、方向が変わったんですね。
ちなみに、ふゆふゆとシステムコーチングとの出会いはどこがスタートなのですか?
ふゆふゆ:うん。僕が実際にシステムコーチングに出会うずっと前に、僕と関係性やコミュニケーションにまつわる物語の始まりのような思い出があるんだけど。
―― どんな思い出ですか?
小学生くらいの頃、家族でテレビドラマを見ていました。昭和のメロドラマみたいなやつでよくあるシーンで、言うに言われぬような理由で男と女が別れていくみたいな。
―― 言うに言われぬような理由というのは?
ふゆふゆ:そこがポイントなのよ! お互いにちゃんと言わないわけ。
何かしらすれ違いがあったり、残念な誤解があったり。つらい状況なのかもしれないんだけれど、僕から見ていると「それ、話し合ったらいいじゃん」みたいなのを、話し合わずに別れていくわけよ。昭和だから、一人で何かを抱えて「私一人が泣けばいい」じゃないけどさ。
―― 昭和ってそういうドラマなんですね。
ふゆふゆ:(イベント参加者のグループチャットに)「言うに言われぬ理由で別れるの分かります」という昭和の声がきてるけど、正にそうなんだよね。
「自分だけが頑張っていればいい」「自分だけが我慢すればいい」…と、それで別れていく。
今でもその感覚を覚えているんだけど、そのシーンを見たときに胸がザワザワするというか。
うちのお袋に向かって訴えるわけ。
「ねえねえ、お母さん! どうしてあの2人は話し合わないの?」と。小学生が言うわけですよ。
―― 大人の恋愛事情に。
ふゆふゆ:そう、大人の恋愛関係に。「なんで話し合わないの!?」と言ったら、お袋から返ってきた答えは――
「あなたも大人になったら分かるのよ」
―― 大人になってみてどうですか?
ふゆふゆ:ゆいぽん、いい質問だね。分からなかったから、自分はこの仕事をやっているんだと思うんだよね。
全部言わないでも察してくれ
ふゆふゆ:ちなみにゆいぽん、「皆まで言わすな」って分かる?
―― 教えていただきたいです。
ふゆふゆ:そうだよね。これが、年代が離れた2人がこれを話している価値だと思う。
それこそ、昭和の言葉かなと思うけど。「皆まで言わすな」=「全部言わないでも察してくれ」的な。
そういう価値観に対してある種、もやっとする、ざわっとすること。「人がすれ違ったまますれ違っていく」ことへのざわつきが原点なような気がするんだよね。
―― 要は「人がすれ違っていくことへのやるせなさ」とか、そういう感じかな。
ふゆふゆ:やるせなさってすごくぴったりだね。それは、やるせなさ、東京ラブストーリーみたいな。ドラマとしては良いのかもしれないけれど・・・。
大半の関係性は放置されている
ふゆふゆ:実は、関係性の中の半分以上のことは、ちゃんと向き合ったら紐解けるんじゃないかと、僕は心のどこかで思っているんだよね。
ただそこには、勇気もエネルギーもいる。誰でも自分の関係性って考えたときに、いつも向き合っていたらしんどいじゃない?
―― はい。もやもやしていたり、ざわついていたりする関係性を、そのままにしておくのか、そこと向き合って明らかにしていくのかという選択肢があったとして。私もですが、大半の関係性は放置したり、向き合いきれなかったりすることがあるなと思っています。
ふゆふゆ:そうだね。もちろん僕も、全部ができていると言ったら嘘になるけど。やれることがもっとある気がするというのが、自分の感覚に一番近いかな。
―― やれることがもっとあるというのは?
ふゆふゆ:うーん……。その手前で諦めていることがあまりに多いように思える。
この話が適切かどうか分からないんだけれど。
自分の親は、いわゆるラブラブ夫婦ではなかった。
親父はもう20年以上前に亡くなってしまったのだけど、うちの親父が最期に入院しているとき、お袋が親父に精神的に頼っているというのがすごく伝わってきたのね。
元気な頃は、あんなに喧嘩ばかりしていたのに。いざとなったら、頼っていく、心がつながっている姿を見て、夫婦って本当に分からないなと思ったし。関係性の一つの凝縮された形じゃない?
―― うん。
ふゆふゆ:それはそれで、最期にそういうことが起きた意味はあるんだけれど。それも、まさに昭和の物語だと思うんだよね。自分の親だけの話ではなく、あの世代はそれしか知らなかった。
関係性について話す=別れ際
ふゆふゆ:たとえば相手を傷つけたりはせずに自分の感情を伝える、アサーティブというコミュニケーションの取り方があるけど。そういう伝え方って、自分の親の世代とか、どこにも学ぶ機会はなかったし、その情報もなかったと思うんだよね。
そうすると、ボカン!と爆発してしまうか、言いたいことを言わないでこの場をうまくやっていくか、どちらかになってしまう。これは夫婦関係だけじゃなくて、いろいろな関係性にあると思うけど。もったいないよね。
システムコーチングには、「関係性は、意識的・意図的にデザインできる」というポイントがあって。関係性を意識すれば、ちゃんとそれを扱うことができる。それって具体的に言うと、関係性についての話をするということだと思うんだよね。
これ、僕がよく言うんだけどさ。普通は「関係性についての話をするのは、別れ際のカップルだけだ」と。「ねえ、私たちって最近どう?」って言い出したら、もう黄色信号じゃない?
―― そうですね。
ふゆふゆ:ね。そうじゃなくて、日頃からそういう話ができるのであれば、事態は随分違うんじゃないかなという感覚かな。
人生で一番辛かった時のこと
ふゆふゆ:もうひとつ、僕がシステムコーチングに出会うきっかけとなったこととして、教員時代のことを思い出したんだけど――。
20代から30代前半くらいまで、自分にとっては人生の暗黒時代。学びはあったけれど、あの時代に戻るのは死んでも嫌だ、みたいな。
プライベートでもうまくいかないことが多くて、その中で多くの人を傷つけたり、ここでは言えないこともしてしまったりして。同時に、仕事も、教員としてどうなのかみたいにすごく悩んでいた時期でもあり。
大学を卒業してすぐに非常勤で、とある学校に勤めていた時の話なんだけど…今だから言うけど、ある日さぼっちゃったんだよね。電話をして「すみません。今日、体調が悪いので」って。
今から思えば、システムコーチングが智恵を頂いているプロセスワークで言うところの「エッジアウト」、言わば「いっぱいいっぱいになって、シャットダウン」みたいなことが起きたんだと思う。
通勤の駅まで行く途中に、薬用植物園があって。あるのは知っていたけど、入ったことはなかった。当時、自然にも興味は薄かったし。それがなんか、その日はふらーっと、その薬用植物園に入って。
そこに、大きな木があったんだよね ――。
その麓にベンチがあって、そのベンチに座って半べそかいていた。
「どうして、俺、やることなすことうまくいかないんだろう」と。
大学では英語教育学とかゼミとか行って、いろいろと理想に燃えていて。こういう教え方もできるんじゃないかとか、これもやれるんじゃないかとか思っていたけど。
頭でっかちだったんだよね。それが実際には、全部打ちのめされることが日々続く。
そんなことを思いながら、ふとベンチに寝っ転がってみたら、葉っぱのさやさやって音があるじゃない? あの、葉同士が擦れ合う音。かさかさとか、さーっとか。
風が通るときのあの音を聞いていて、すーっと心が溶けていくみたいな。
そんな中で、そのでかい木に癒されたの。
そういう時間だったんだよね。
その時のこと、すっかり忘れていたんだけど、今蘇ってきた。
当時は、頭の中で考えていることと心とが、まさにシステムになっていなかったんだと思う。やることなすことうまくいかないという感覚で、否が応にも叩きのめされるよね。これだけ証拠を叩きつけられると、自力ではどうにもならないというものを、繰り返し繰り返し見せられる。
―― 何かのエネルギーに打ちのめされている感覚かな。衝突しあっているみたいな感じ?
ふゆふゆ:衝突だといいけどね、一方的にやられている感じ。その後も学級運営がうまくいかなくて、学級崩壊みたいな形になった時期もあった。毎日、職員会議で同僚に平謝りして。立ち上がって「うちのクラスが問題を起こして、本当に申し訳ありませんでした」みたいな会議を毎日やる。円形脱毛症にもなってさ。
そういう繰り返しの中で、自分一人ではどこにも行けない、何もできない。なんていうんだろう…染み込まされるって言うの?
でも逆に言うと「あのままいっていなくて良かったな、俺」という気持ちもある。
例えば、学級運営がうまくできて、授業も順調にいって、プライベートでもうまくいって、自力でできると思っていたら、システムというところにいかない気がする。変な話、そうじゃなかったからシステムにたどり着いたような気がするよね。
手を振ると前屈ができるようになる!?
―― ところで「身体性」も今日のテーマに挙がっていたと思うのですが。ふゆふゆが思う身体って何ですか?
ふゆふゆ:身体は複雑系の果てがないシステムだよね。だって、ゆいぽん、どうやって立っていられるか、分かっている?
―― 頭が「立て!」と命令するから。
ふゆふゆ:良い答えだね。ここが不思議なところでさ。
脳が何か命令を出して身体に対してやらせていることで、意識化していることって、本当にちっちゃいよね。生まれてから、ゆいぽんは、心臓に「動け」と言ったことは一度もないと思うんだよね。
―― そうですね。お母さんの産道を通ってくるときに、心臓から動き出したと思いますね。
ふゆふゆ:そうだよね。― ここでちょっと、身体はシステムだということを体感できるワークを1つ試してみたいんですけど。良いですか?
―― もちろんです。画面の前の皆さんもぜひ。
ふゆふゆ:これは自分がカラダのケアでお世話になっているモビリティケア®(注)というところで教わったワークなんだけど、許可を頂いたのでお伝えしますね。まずは普通に前屈をやってみてください。無理せず自然にどこまで手が伸びるか。ゆいぽんは今姿が見えませんが、どこらへんまでいく?
―― 手はつくんですけど、べったりとはつかない感じです。
ふゆふゆ:そのくらいね。じゃ続けて試してほしいのは、片一方の手を縦に、逆の手は横に、5回~10回振ってみて。そしてもう一回、前屈をやってみる。今度は左右反対にしてまた振って、もう一度前屈。
ゆいぽん、どちらかやりやすい方があったと思うんだけど、何か変化はありましたか?
―― 手を振ってからは、床にぺたっとつくようになりました。
ふゆふゆ:ありがとう。僕も指がつくようになりました。もしも、画面の向こうでやっていただいた方がいたとしたら、どっちかで変化があると面白いんですけど。
―― 「一気に柔らかくなった」っていうチャットがありました。
ふゆふゆ:普通前屈といったら、膝とか膝裏とかももを一生懸命伸ばそうとするじゃない?「いててててっ」と言いながら、ぐいっとやったり。
でも身体はシステムだから、実は(伸ばしたいところ以外の)他のところが影響を与えているんだよね。その影響を与えているところに適切に影響が働くと、連鎖反応的に他のところにも影響が及ぶという話。
システムコーチングは「体質改善」
―― 私たちは日々生きていて、どこか怪我をしたら、その痛めたところをマッサージしたり、湿布を貼ったりと考えがちじゃないですか。
ふゆふゆ:うん。
―― 腕が痛いから足に湿布を貼ろうなんて考える人はいないわけですよね。
ふゆふゆ:いないよね。腕が上がらないというときに、実は鎖骨の下をマッサージすると上がるようになるとかさ。実はこれ、(企業などの)組織に向き合うときにも同じ発想をしている人って多いと思うんだよね。
―― どう同じなんですか?
ふゆふゆ:「あの人が悪い」とか「あの部署が悪い」とか、「部分」にフォーカスするよね。「その問題がある箇所をどうにかする」っていう発想になっていると思うんだよ。ここからちょっと暴走するけど。「組織体」というくらいで。
―― 「体」という文字が入っている。
ふゆふゆ:うん。だから、「実は同じようにシステム視点で、自分の身体も組織も見ていいんじゃないの?」と僕は思っている。
―― 体の中も、「組織」と言いますよね。
ふゆふゆ:そうそう。身体の中で、臓器同士がお互いに文句言ったりしていることはないわけよね。「肝臓、お前が一生懸命やらないから、俺は大変なんだよ」って、心臓が言っているとかさ。
―― 私には聞こえないですね。
ふゆふゆ:そうだよね。身体の中の何がプロフィットセンターで、何がコストセンターかとか。そういうふうに身体はできていない。胃がんになるからと言って、ピロリ菌の除去があったけれど。一方で、最近の研究の中には、ピロリ菌をとることでのデメリットも出てきているよね。
身体はシステムなんですよ。一つが単体で独立しているわけじゃなくて、複雑系の影響を与え合っている中で成立しているものを、そこだけ取り出して解決しようとしていること自体が…。短期的にはうまくいくかもしれないけれど、長期的には難しいんじゃないかな。
だから、システムコーチングって「体質改善です」という例えをしたりするけど。
応急処置の先にどんな未来があるんだろう
―― でも、この現代社会って、体質改善を望む方もいますけど、どっちかというと、手早くすぐに解決して、早く処置が終わるということを望みやすい傾向にあるんじゃないかなと思います。
ふゆふゆ:そうだよね。それが社会システムの今の声だと思うし。自分もそこに生きる一員としてすごく分かるなと思う。それと同時に、それだけだったらその先にどんな未来があるんだろうとも思う。
外科手術が必要なときも、もちろんあるよね。そのまずい箇所を切除しなきゃいけない、そうすることで全体としての生命体が生きながらえているということもあるので、否定はできない。
でも「あまりに部分解決にフォーカスしていっているんじゃないの?」というのが、僕の感覚かな。
「ふゆふゆはシステムコーチングをどういうふうに見ているんですか?」という質問があったと思うんだけど。僕はそういうふうに見ています。
それで、身体や組織のシステムが健やかになることを願っている。
自分も関係性で何か傷ついて。「どうしてあの2人は話さないの?」と泣きながらお袋に言って。
誰かとの関係で誰かを傷つけてということを繰り返してきて–。
でもシステムコーチングをやる中で、組織の中にある「人の思い」がちゃんと語り合えて、今まで言えなかったものが「成仏」して、関係性が良い形に整っていくのを見てきた。
「これは、誰かのせいとかではなく、システムとして皆で組織体をつくっていることなんだ」ということが認識される瞬間…。
— たぶん、それが見たくて(システムコーチングを)やっているのかな。
(注)モビリティケア®は株式会社文教センターの登録商標です
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次回のゲストは、「家族」を大切なテーマとして探求しているシステムコーチ・土屋 志帆さんです。家族は誰もが共通して持つテーマですが、距離が近く複雑性が高いため触れることや扱うことに抵抗感を感じる方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。それでもさまざまな夫婦や家族システムの前に立つ彼女の強さや、その奥にある「痛み」と「願い」についてじっくり伺っていきます。